オットセイってどんな動物?

3.オットセイの個体数の変遷

オットセイの毛皮とその構造

オットセイは英名に“fur” sealとついているように,上質な毛皮(fur)を持っています.オットセイの毛皮は黒くて長い保護毛と,細かく密に(1cm^2あたり6万本以上)生えている下毛からなっています.この毛皮を目当てに乱獲が行われてきました.

オットセイの利用

江戸時代以前

蝦夷島奇観 人 もり打の図  図類 76(41)(北海道大学北方資料室 許可番号 01-H038)

日本にやってくるオットセイは古くから,アイヌの人々によって捕獲されてきました.内浦湾(噴火湾)や奥尻島などで捕獲の記録があります.

蝦夷島奇観 人 会所へ差し上げの図 図類 76(42)(北海道大学北方資料室 許可番号 01-H038)

江戸時代,捕獲されたキタオットセイは松前藩に献上されました.

膃肭臍猟及総説 8 軸物148-8(北海道大学北方資料室 許可番号 01-H038)

オットセイの生殖器が漢方薬として幕府に献上されていたのです.オットセイは漢字で膃肭臍と書きますが,これは生殖器を意味するアイヌ語だったものが,動物の種の名前となってしまったのです.

プリビロフ諸島におけるオットセイの捕獲数

1741年,ヴィトゥス・ベーリングがコマンダー諸島を発見し,ゲオルグ・ステラーがキタオットセイを初めて記載して以来,この上質な毛皮を目的として徐々に捕獲数が増え,1760年以降,ヨーロッパでの毛皮市場が発達してから,その捕獲数は飛躍的に増加しました.その後,1786年にガブリール・プリビロフがプリビロフ諸島のキタオットセイを発見し,プリビロフ諸島,コマンダー諸島,そしてチュレニー島,千島列島での捕獲も始まり,乱獲によってキタオットセイの個体数が激減しました.その後,ハーレムを持つことのない未成熟オスを捕獲することにより,個体群へと与える影響を抑えることにより,個体数は回復しました.しかし,個体数管理がされなくなったこと,毛皮価格の高騰によって1868年から,外洋でも捕獲されるようになりました.外洋での捕獲は1868年から始まり,捕獲されたのがほとんど妊娠メスだったことから個体数はさらに激減,1910年にはほとんど0にまで捕獲数は落ち込みました.その後,1911年に猟虎及膃肭獣保護国際条約が締結され,外洋での捕獲が禁止され,国際的に個体数管理がなされるようになりました.その後,北太平洋のオットセイの保存に関する暫定条約が1957年に締結され,持続的利用のための国際的な科学的調査が行われてきましたが,その後,毛皮市場の衰退,海棲哺乳類保護の機運が高まり,1984年に失効しました.

プリビロフ諸島では,1956年より生産力増加をねらって成熟メスを捕殺したことをきっかけに個体数が減少し,現在も回復していません.

オットセイの個体数

オットセイの新生子数を数えているところ

生息数推定は,繁殖場で新生子の数を数え,その数に4.4747をかけることで推定されます.この手法により,世界では120万頭(成熟個体65万頭)が生息していると推算されています(Gelatt et al., 2015).

 

現在,プリビロフ諸島では個体数が大きく減少,その一方で千島列島,チュレニー島,ボゴスロフ島では増加しています(Gelatt et al., 2015).

 

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